陶器山について

天野街道(古道)に、泉北ニュータウン(堺市)と狭山ニュータウン(大阪狭山市)を分けている陶器山丘陵(尾根道で約4km)があり、このあたり一帯は、古代5世紀中頃から10世紀まで続いた、陶邑古窯跡群(日本最大)があります。

朝鮮半島から渡来した工人たちにより、最盛期には、千基もの窯から煙をだし須恵器が焼かれていたのです。須恵器は轆轤によって作られ、その技術は日本で最初に使われ、量産されるようになりました。須恵器は、陶邑窯からはじまり、その後全国に広がり、六古窯(備前・丹波・信楽・越前・瀬戸・常滑)が始まりました。いわば陶邑窯は焼き物のルーツといえるでしょう。

陶邑窯も後半は薪である樹木の乱伐等で廃れていったと言われ、かなり荒れた土地になっていったのが伺われます。そもそもこの地は縄文期、人の住んでいた痕跡が無く、大森林に覆われていたと思われます。古墳時代、薪である樹木の豊富なこの地に工人が入植したのでしょう。

陶器山がまだ整備される以前、須恵器の破片を子供とよく拾いに行ったものです。現在ニュータウン造成等で陶器山丘陵の少しのエリアしか森が残っていません。堺市と大阪狭山市の貴重な森です。今も尾根道の際まで造成され、ますます森が減り、大阪狭山市側の森がなくなるのが残念です。

朝のラジオ体操や散歩やジョギングそれにハイキング等近隣の人たちに愛されている森です。

陶器山の自然を残すため「陶器山の植物」「陶器山のキノコ」を掲載します。

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